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JAZZ Column

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東京中野のバー経営、伊藤 哲氏より御本人が書かれた

ジャズの批評についての文面を頂きました。

僕は面白いと思うので、伊藤さんの了承を得た上でここへ載せさせて頂きます。

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ジャズを殺しているのは誰か?

(日本におけるジャズ批評の現状とこれからの方向性についての提言)

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これから考察していくことはジャズという音楽をとりまく現状とこれからあ

るべき姿についてどうしたらいいのかということであるが、このことはジャズ

の世界だけに限ったことではないという事をまず言っておきたい。なぜなら、

現在の世の中における芸術活動全般に同じ事が起こっているといえるし、批評

という行為自体、ある限定された世界だけで通用するものではなく、その批評

する個人がもつ時代性とそれを解釈するための尺度(ある客観を備えた理論)

を操ってその対象事象を切るという事が原点だろうと思うからである。***

その点を踏まえて今の日本のジャズ批評なるものを見てみると、これが惨憺

たる状況であるのははっきりしている。ジャズ専門誌が数誌あるが、CD業界

にべったりの太鼓持ち雑誌ばかりであり、また著作がいくつもある批評家と称

する多くの人たちも批評とはなにかということは一度も考えたことがないよう

に思えて仕方が無い。*************************

具体的にあげていくとジャズ専門誌のCD評であるが、一応ゴールドディス

クとかランク付けしている事がひとつの権威になってしまっているわけだが、

それが権威であることは問題ではない。問題は権威を信頼している一般リスナ

ーに対して、正当な評価として提示しているかということである。*****

権威を必要としない人たちははじめからそんな雑誌は読まないであろうから

問題はないが、一般リスナーはそれが購買にたいする指針になっているのは間

違いない。もちろんそれが成立するから、業界としては売りたいCDに対して

プレッシャーを出版社にかけ続けているのだろうが、その売り上げ至上主義だ

けでCD批評がなりたっているのならそれはもはや批評ではない。*****

需要と供給だけで成り立っているのならそれは芸術ではなく、たんなる工業

製品と変わりは無い。その工業製品を一生懸命売るために説明している姿は単

なるビジネスマンである。ビジネスと徹しているのならそれはそれでいいが、

一応批評家としてレビューを書いているのなら、その行為にむなしさを覚えな

いのであろうか。まあ、覚えない人もいるだろう。しかし、この工業製品のあ

いだに本来、批評家が日の目を見させなければいけないものが多数あり、それ

をリスナーに届けるということをしないで闇にほうむっているかもしれないと

いう事実はあきらかで、これは現在のジャズを広く認知させていくことと相反

する行為をジャズ普及促進の為の雑誌が抱え込んでいるという矛盾である。

ここで分けて考えたいのは風俗としてのジャズと芸術としてのジャズについ

てである。風俗としてのジャズとはすなわちマジョリティが望むジャズであり

当然セールス的にも成功する確率が高いものである。芸術としてのジャズは必

ず発表時はマイノリティであり、それはいつの時代も最初はすぐに理解されが

たい要素を含んでいる。なぜなら、それは先駆者としての行為であり、新しい

地平であり、無から有を生み出す原初的なエネルギーを発散した時代に対する

アンチテーゼであるからだ。**********************

業界誌や批評家が細心に吟味して理解して世に送り出していかなければいけ

ないのはまさにこういうものではないのか。風俗としてのジャズは手をかけな

くても自然に売れていくだろうし、いつの時代も流行という形で現れては消え

ていくものだ。風俗のジャズを悪いといっているのではない。それはそれで必

要とされているものであるし、本来良し悪しは芸術であるか風俗であるかとい

うことに言及しているのではない。私が問題にしているのはあくまでも批評と

は何かということである。***********************

次に「ジャズ名曲なんとか」や「これを聴け」のような本を書いている批評

家達についてであるが、批評精神を持って書いている人がほとんどいないよう

に思われる。ただのジャズ愛好家で自分の趣味性だけで著作を書きつづけてい

るだけである。もちろん「私はこれが好き」だけを言いつづけてもいいだろう

し、それを信頼している読者がいるからそれはそれでいいのだろうが、前述し

た通り批評とはとてもいえたものではない。***************

この人たちに問題なのはただの愛好家であるのに、そこに崇高であるかのよ

うな精神性についてよく語っていることである。音楽に精神性を持ち込み表現

する行為は実際に存在するだろう。ただし、それをどういう観点で認識してい

くのか。自分が聞いたらそこにあったでは、まったくもって客観性を持ち得な

い。たいがい、この手の人たちはマイルスの音には精神的に高いテンションの

持続がありとか、キースジャレットの音の一音一音には魂が込められておりな

どと抽象的表現が多い。************************

精神性とは表現の一つであると私は考える。であるなら、そこには技術の裏

打ちがあってその精神性が表現され、リスナーに伝わるはずである。つまり、

マイルスの精神性と言われる音にも、キースの魂の一音にも、それがそう響き

聞こえる為のテクニックが存在する。例えばその音がでるタイミング、音量、

裏で鳴らしているピアノのハーモニー、ドラムのリズム、いろいろな要素がか

らんでできあがっている。精神性の表現には裏打ちされた技術の駆使が表裏一

体になっているのだ。*************************

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